- Q.今までの経歴をお聞かせ下さい。
- 1962年に慶応義塾大学工学部機械工学科を卒業し、株式会社第二精工舎(現セイコーインスツル株式会社)に技術者として入社しました。大学での専攻分野を考えますとプラント設計などの仕事の方面にいくつもりでしたが、実家が時計であったことの影響が大きいと思います。小学校6年生の頃から時計をいじり出し、中学に入ってからはお客さんの時計の修理をしていましたから、既に時計が生活の一部になっていたのですね。
翌年にはスイスのニューシャテル天文台コンクールの開発担当になりました。スイスのニューシャテル天文台コンクールというのは世界中の時計の精度を競うコンクールで、1860年代から始まりました。オメガやロンジンなど、世界に名立たる時計と同等の時計を作れるなんて夢にも思いませんでしたよ。1回目のコンクールでは見るも無残な結果となりましたが、その後設計者及び調整者との共同作業により地道に研究を重ね、優秀な成績を収めました。夢が現実となったのです。
つぎに1969年にデジタルウォッチの開発及び液晶パネル開発のリーダーに選ばれました。セイコーは若手にもいろんな機会を与え、仕事を任せてくれる会社でした。液晶腕時計は今では当たり前ですが、その当時ハミルトン社が始めてLED(発光ダイオード)を使ったデジタルウォッチを発売しました。セイコーでもデジタルウォッチを開発しようというプロジェクトができ、最終的にはLEDではなく液晶パネルを使ったデジタル腕時計を開発しました。今思うとこの当時が一番楽しかったです。なぜならば、まだ誰も知らない分野でしたから。何もないゼロから試行錯誤しながら物作りし、試作品が動いたときの喜びは格別です。苦労も多かったとは思いますが、今思い出すのは楽しかった思い出ばかりです。そして1972年に世界初の液晶ウォッチ(デジタルウォッチ05LC)を完成させ、販売にこぎつけました。このときはまだ商売というより技術誇示がメインでしたけれどもね。
1978年に、これもまた新しい試みで、腕コンピューターのリーダーを任されました。住所録や電話番号を腕時計の中に入れ携帯しようというアイデアです。今では当たり前の技術ですが。この腕コンピューターの技術は、現在ではレストランなどPOSシステムの一部として活躍しています。ファミリーレストランなどで注文商品を手元のキーボードに入力すると、厨房やレジにもデータが転送される仕組みです。データはサーマルプリンタが出力し、伝票としてお客さんに渡されます。
次に1979年にサーマルミニプリンタの事業部長になりました。このあたりからは技術者ではなく営業畑でのマネージメント職が強くなりました。当時は7億円くらいの売り上げしかありませんでしたが、現在では100億円以上の売り上げがあると聞いています。
その後、液晶パネルの表示体事業部長及び営業部長、コンポーネント営業総括部長、営業副本部長、ウォッチ事業部長など外部との交渉や政治的な活動が中心となりました。海外視察やセールスミーティングなどで出張することも多く、一時期、年間の3分の一は海外出張をしていました。
こう考えると、セイコーではかなりいろんなことをして参りました。
そして55歳で退職し、会長と個人的に知り合いであった本多電子株式会社に、モーター部長として入社しました。超音波の技術をいろいろな商品に展開している会社です。従業員100人くらいの会社ですから、今までとは全く違う環境のもと、コピーから何から自分でしなくてはならず、今更ながらいろいろと勉強しましたよ。その後会長が亡くなったことをきっかけに退職し、2000年から2004年まで株式会社フコクのモーター事業部顧問として就きました。
現在携わっている「専門学校ヒコ・みづのジュエリーカレッジ」での非常勤講師の仕事は1997年からです。セイコーの時の教え子から依頼がありました。腕時計の理論を教える非常勤講師として100人ほどの生徒を教えています。また時々セイコーインスツル株式会社の時計事業部のアドバイザーとして協力しています。
特に機械腕時計は、技術的には1800年ごろにはほぼ確立しています。古い技術が依然として現代でも通用している珍しい商品といえます。時計に対してマニアックな人たちが結構います。
今後は、専門学校などを通して若い人たちに、私が持っている知識を少しでも多くトランスファーすることで社会貢献したいです。 - Q.仕事を楽しむコツを教えてください。
- 会社の中では仕事は一人でやるものではありません。チームで行うことが多いので、チーム全員が同じ方向を向いていることが大切です。先々の将来まで考えることは難しいので、当面の心づもり、たとえば1年先の姿のイメージを作り、気持ちを一致させて仕事をすると楽しく仕事が出来るのではないでしょうか。
新人など若い方はまずはリーダーが考えていることを理解し、それについて懸命に尽くすことです。つまりチームの心づもりに従いましょう。そうすれば自分の意見も芽生え、徐々に認めてもらえるようになります。
もう一つは「現場」を見ることです。現場を見ることで確実に良い刺激を受けることでしょう。 - Q.最後に若者たちにひと言アドバイスをお願いします。
- 私は物づくりの仕事からスタートしました。現在残っているものとしては「液晶」「サーマルプリンタ」「レストランのPOSシステム」などがあります。その後営業やマネージメントなどにも携わりましたが、どのような分野でもいいので、人に負けない固有技術を持つことは重要だと思います。どんなことでも、ほんの些細なことでも構わないので、そこで一番になることで一流になるのです。こうして「つぶしのきく人間」になった仲間は成功しています。
二つ目はいろんな人と付き合うことです。どこでどのような人脈が活きるかわかりません。私も転職の際には2~3人の方々に大変お世話になりました。
そして三つ目は本をたくさん読みましょう。自分の仕事に直接関係する専門書を読むのは当然ですが、そのほかにも、評判になっている本やあらゆるジャンルの本を読みましょう。自分と違う意見に触れることも大切ですし、文章構成力もつき語彙も増えるので、文章を書くことが上手になります。