- Q.今までの経歴を教えてください
- 大学に入った当時から、DJブームだったので、自然とアナウンサーになることを夢見ていました。そこで大学1年の頃からアナウンスの専門学校に通い自分なりに努力してきたのですが・・・。なんと・・・私は、全て悪い条件ばかりそろっていたんですね。有名校でない女子大、自宅有利の状況なのに寮生活、コネは必須条件といわれた時代に一切コネなし・・・。アナウンサーになるなんて・・・とんでもない。合格率は皆無といってもいいほど、厳しい状況でした。当時局アナは約3,000倍、地方局でも約1,000倍以上といった倍率。それでも絶対になりたかったんですねえ。「人事を尽くして天命を待つ」とはよく言いますが、私は面接の時に「人事を尽くして天命を変えます」と生意気にも訴えていました。というのも、私には「熱意」という武器しかなかったのです。熱意を伝えるには行動するしかないと思い、北は北海道から南は沖縄まで全国約50社近い放送局に直接足を運んで番組表をもらいに行きました。今のようにインターネットで情報がすぐに手に入らない時代でしたから。テレビ局でどんな番組をつくっているのかを知るには直接行くしかないんです。でも、そのうち「直接訪問してくる面白い子がいる」とウワサが広がっていたようです。
局への訪問にはとんだドタバタもありました。とにかく全国を回っていましたからお金もギリギリ・・・。電車賃も高速に乗るお金も底をついてしまって・・・。
それでも、群馬テレビには番組表をもらいに往きたくて車で東京から向っていったんですね。と、局の少し手前でガス欠になって立ち往生。仕方なく就職希望先の群馬テレビに電話して、迎えに来ていただいた挙句、ガソリン代までお借りしたというお恥ずかしい話があります。テレビ局の方は、さぞあきれたことと思いますが、局内を見せていただいたり、夕飯をご馳走になったり・・・大変親切にしていただきました。勿論・・・恩返しにAD業務もお手伝いしましたよっ。風船50個膨らませたり、ゲーブルをさばいたり・・・とてもお手伝いになったとは思えない働きっぷりでしたが。でも、そのときには「君はアナウンサーには向いてないよ」とはっきりと言われました。そりゃ、そうです。無謀さは買うけど、社会人には向かないね・・・と厳しい苦言を言われました。それでもあきらめられなかったんです。群馬の皆さんのあったかさとか、テレビ制作のこだわりに触れてしまって、余計にやる気がでちゃったんですね。苦言を言われながらも、無謀にも試験にチャレンジしたのです。私を見た試験官から言われた言葉は「やっぱり来たね」「入りたいんだ?」。思わず「はい、骨をうずめます」と即答しましたねえ。面接を終え家に帰ると、既に家の留守電に合格を伝えるメッセージが入っていたのは最高に嬉しかった。
お陰さまで群馬テレビでの3年間は、ありとあらゆる仕事をしました。お天気予報、報道キャスター、お昼のワイドショー、情報レポーター、番組のナレーション、台本作成等。やったことのない仕事はないといえるくらい、積極的に取り組みました。ほとんど休みもなく本当にキツイ毎日でしたが、その経験がフリーとなった今、とても役立っています。その後、25歳のときに知り合いから声をかけてもらい、ある番組制作会社の立ち上げメンバーになりました。課長待遇で入社し、部下も出来ました。企画から営業、ナレーション、ディレクター業務など、番組制作全般の仕事を任されました。世の中がバブルだったせいでしょう。提案すればなんでも通る、リピートにもつながる、本当にクリエイティブな仕事を実感でき楽しい毎日でした。しかしその3年後、残念ながらその会社はたたむことになったんです。バブルも崩壊し、次々と知っている会社がなくなったり、チームが解散したりするのを目の当たりにしました。それでもこの仕事がやりたいのなら、フリーしかない。というか、フリーになってしまったんですね。言葉どおり、自由だけど仕事がない、無職のフリーターでした。でも不安になっていても仕方ありません。マスコミ電話帳を開いて、50音順にプロダクションを訪問しました。行動力のお陰か、早速採用になったものの、フリー契約ですから仕事がなければお金は入りません。最初は年収40万円からのスタートでした。月収ではなく年収40万円ですよ。そんな状態が困るのは本人だけではなくプロダクションも同じ。こんなひどい年収が続くと、契約は当然解除されてしまいます。初めてまずいなあ・・・どうしよう・・・とひたすら悩みました。熱意だけでは、仕事がとれない。そういう年齢にもなっていたんですね。
そこで売れている人たちを徹底リサーチしたのです。ナレーションの世界は極端なピラミッド型になっていると思います。カリスマと呼ばれる年収何千万円ものトップ層が一部いて、2番手は年収が一気に下がり400~500万円です。その差は何か?プロダクションの実力か?ネームバリューか?その2つがない場合は・・・・?私の場合、取りあえず、局の経歴があるのに何故?とも悩みました。そしてたどりついたのは、やはり実力ということ。カリスマになれるかどうか・・・これはやはり雲泥に実力差があるんです。私の場合は30歳から伸びましたね。CMもかなり選ばれるようになりました。よく言われることですがポイントは「誰にも負けない活舌」「いち早くつかむ文脈」「誰からも好かれる営業力」だと確信しています。 - Q.アナウンサーとナレーターの違いは何ですか?
- よく訊かれる質問ですが、アナウンサーが「情報を正しく伝える人」であるならばナレーターは「その内容を味わい深く伝える人」です。司会が「相手のテンポに合わせて進める人」ならばナレーターは「自分のテンポを崩さない。自分らしい間や強調ができる人」です。そういう面ではナレーターは半分自分探しをする職業ですね。毎日毎日練習を重ね、自分探しをしていきます。そうするとあるとき“これだ"と思う瞬間が来ます。そして次はそれを定着するよう努力します。引き出しの数を増やせるよう練習し続けます。野球選手のイチローがどんな状況でも打席に立ったときにはルーティンを行うように、私も自分の世界に入れるようナレーションの前にはルーティンを行います。ナレーターは「言葉の職人」ですね。
- Q.新人アナウンサーの育成も行っているとお聞きしましたが、最近の若者にはどのような感想をお持ちですか?
- 最近の人は貪欲さが無くなっていると感じます。耳年増になっているというか、浅く広く見ただけで、「向いている、向いていない」を決めてしまいます。頑張って一つの仕事をやり遂げて扉を開けないと本当の良さはわからないし、自分にこの仕事が向いているのかどうかもわからないと思うんです。小さい頃から受身で教えられることに慣れているのでしょう。よく「私にアナウンサーは向いているでしょうか?」と聞かれますが、そう聞く時点でエネルギーレベルとしてはダメです。やってみて苦労して初めて自分自身がわかることです。私は誰からも向いているなんて言われませんでした。でも、だからこそ、自分で自分の背中を押してきました。私の周りに成功事例を多く見てきたから出来たことでしょう。
- Q.一色さんの今後の夢は何ですか?
- 最近「レイコの聴くサプリ」というCDを発売しました。今後はビジネス書やイメージトレーニングのCDやコンテンツをもっと出していきたいです。たくさんの成功体験本や教材が出ていますが、それを読むだけで、習慣付けられる人は少ないですよね。どんなふうに元気を出していったらいいか、自分に問いかけられる人は少ないです。だから、仕事が長く続かない人や考えすぎて悶々と悩むフリーター、働く女性などの支援をこの教材を通して行いたいと思います。
- Q.とても元気な一色さんですが、その元気の秘訣は何ですか?
- 「笑う習慣をつけること」と「ワクワクするようなルーティンを決めること」です。ルーティンとはたとえば好きな喫茶店で本を読むとか何でもいいんです。
- Q.最後に若者にひと言お願いします。
- 「悩んでないでやればいいのに」と思います。やっちゃったら感情は後からついてきます。達人たちもスタートはゼロだったんです。みんな「やれるかな?」からスタートしました。初めの一歩が行動できるか、そしてそれを継続できるかが重要です。大きすぎる目標を持つとなかなか実行できません。まずは期間を決めて「1ヶ月だけ~する」というのがコツです。1ヶ月やると絶対に何かが変わります。継続すると何か得るものがあるのです。
「やり始める。そして続ける。」夢の実現はここから始まります。